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紀州、和歌山城 (3)

Monday 14 May, 2007

(つづき)

 和歌山城管理事務所のウェブサイトを参考に、和歌山城の歴史について簡単にまとめておく。

 築城は戦国時代の1583年。豊臣秀吉の命により秀長が築城にあたった。江戸時代初期の1619年に徳川家康の十男・頼宣(1602-1671)が入城、以後、紀州徳川家の居城として繁栄をとげる。(紀州家は吉宗と家茂の2人の将軍を輩出している) 徳川家の居城となった際に大規模な改修が行われたが、江戸末期の1846年に落雷のため天守閣が焼失、1850年に再建された。ご維新の後、1871年(明治4年)に廃藩置県のため廃城、その後、1901年(明治34年)に公園として市民に公開された。1945年(昭和20年)7月9日、和歌山大空襲のため焼失。1958年(昭和33年)に再建。火災や戦災に見舞われても、その度に多くの人の手によって再建され、守られてきた、とても尊いお城である。





 さて、霧雨に濡れて輝く美しい城内。いささか足元がすべって危ないので、よたよたしながらも山上へと続く階段を登っていく(おそらく「裏坂」と呼ばれる坂だと思う)。石段のところもあれば、石が敷かれていないところもあるが、いずれにしても滑るし、かなり急だ。斜面の角度の急なことは、下から見ても心臓が痛くなる。子供の時にここに来ていたら、空気よりも軽く飛んでいけたのかなと思わないでもない。しかし、山中の石垣と落ち葉、そこにちらちらと落ちる樹木の影、漏れくる光のコントラストが美しい。霧雨模様だから、いろいろなものの匂いが立ちこめて、あたりの空気はいっそう芳しい。







 坂を登りきったところが本丸跡となっていた。この辺りには給水塔や御殿の跡があったが、ここは管理地のため、立ち入れない。栄華の痕跡もなく、自然に戻っているのがいささかさびしい。やがて天守閣への入り口が見える。入り口でお金を払い、中へ入る。内部は資料館になっていて、紀州家ゆかりの品やお城に関する資料などが展示されていた。戦後に再建されたものだから、中に入ってしまえば現代の建物とそう変わりはないが、空間の使い方がやはりとても独特で、現代の我々が失ってしまった先祖の空間感覚の残滓を見た気がした。西洋的な世界観の中にいるとなぜそのような形なのか、理解に苦しむが(きっと建築学者であれば合理的な説明ができるのだろうけれど)、理屈抜きにして、とても心地がよいから不思議だと思う。

 大天守の一番高いところまで登る。中は展望台のようになっていて、窓が開け放たれ、外側のテラス部分(細い回廊)をぐるっとまわることができた。窓からの風が吹き抜け、気持ちがよいのだが、建物の中にいるという気がせず、まるで空の上にいるかのような気がして、いささか怖い。怖いが、まるで天空に浮かぶお城のようで、やはり気持ちがよい。 (「ラピュタだ!」と思ったのは言うまでもない。←お約束?)





 登って登って登って、ひたすら登った末にやっとたどり着いた大天守、心地よい風の中で見晴らしのよい風景を堪能したのも束の間、東京に戻る前に海南市まで行かなければならないと思い出し天守閣を後にする。今度は下りだが、来る時に登ってきた坂道は急すぎて、足元のよくない日に下るのは容易なことではないし、違う景色も見たかったので、来た時とは違う道を通った(どうも、これが表の道らしい)。きちんと整備されているから、現代の道には違いないのだが、それでも、趣が豊かで深い。まるで今にもお侍さんがあっちから歩いてきそうな気がした(脳内タイムスリップ)。

 ここで思い出したのは私が幼年時代を過ごした城址の中の小径のあれこれのこと、あるいは啄木のこんな歌のこと。

  不来方のお城の草に寝ころびて
  空に吸はれし
  十五の心

      (石川啄木「一握の砂」






 帰り際に見た石垣があまりにも見事で驚いた。後で調べたら、この石垣は全国のお城の中でも特に美しいものとして知られているものとわかった。重機のない時代に人力だけでこれほどまでに美しく、緻密に、しかも高く石を積み上げる技術があったのだから、やはり驚くよりない。よいものを見ることができたと満足して和歌山城および和歌山を後にした。





(紀州篇はまだまだつづく)


●関連リンク

国民宿舎新和歌ロッジによる「和歌山城」のウェブサイト
和歌山城管理事務所のウェブサイト
和歌山大学教育学部附属小学校による和歌山城の紹介サイト


●余談

 この紀州篇を書いている間、ペーター・レーゼル氏のリサイタルを聴きに紀尾井ホールに出かける機会があり、紀州藩の屋敷跡の前を通った(紀尾井は紀州・尾張・井伊の屋敷があったことからついた地名。井伊家については本ブログ「ひこにゃんと豪徳寺」を参照のこと)。

 ここは紀尾井ホールに行く時にはいつも通るが、いつもは何とも思わない。むしろ私がいつも気になって、時間があればうろうろとしてしまうのが清水谷公園。けれど、今回は紀州のことを書いていたから、紀州藩の屋敷跡の石碑もおもしろいと感じた。

 場所はメトロの赤坂見附駅もしくは永田町駅から紀尾井に向かう途中。弁慶橋を渡ってすぐのお堀端。(ボ-ト小屋とは反対側=赤坂プリンス側)

 → 江戸時代と現代の地図を見る (Yahoo!)






(2007.04.29 弁慶橋より江戸城外堀を望む)
(紀州徳川家の屋敷があったあたり)


●追記 (2007.06.15)

紀尾井の紀州藩の屋敷跡そばの釣堀を利用した宿泊プランを赤坂プリンスホテルが企画するそうです。

* 読売新聞の記事(リンク切れの場合あり)

* Yahoo!の記事(リンク切れの場合あり)


●1年後の同じ日、さらに写真を撮ってきました。

こちらから → 小さい写真帖 10



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紀州、和歌山城 (1)
紀州、和歌山城 (2)
紀州、和歌山城 (3)
紀州、有間皇子終焉の地 (1)
紀州、有間皇子終焉の地 (2)


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