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Saturday 02 January, 2016







Saturday 02 January, 2016









Saturday 02 January, 2016









Sunday 20 May, 2007

(つづき)

 有間皇子神社のすぐそばまで民家が迫っていて、細い道が続いている。一度、藤白神社の境内から出る。この道の先が藤白の坂の上り口になるようだ。案内板を頼りに道を進む。細い舗装道路を歩いていくと、昔の街道跡のような鄙びた風情の民家が連なる。軒下に熊野古道と記された提灯が下がっているので、この辺りは熊野古道の一部なのだとわかる。照りつける日差しが強い。青空の輝きは過ぎた夏を思わせる。白い雲が美しい。近くの家々からは昼食の支度をしているのだろうか、生活の音が道に響く。日曜の昼下がり、なんでもない日常生活が感じられ、のどかである。




 やがて道の先に小さな公園のような囲みが見えてくる。緑に囲まれたその一角だけは、この夏の残滓のような日曜の昼下がりの中でも妙に薄暗い。有間皇子の墓と伝えられる場所である。皇子の墓所は清められ、花が供えられている。この場所を守っている人たちの存在を窺い知る。先ほどの生活音がその人たちだろうか。それにしても寂しい場所である。これをのどかと感じるか、寂しい静けさと感じるかは受け止め方によるが。この場に来ると「あり通ひつつ見らめども」の山上憶良の歌が口をついて自然に出てくる。


  鳥翔成あり通ひつつ見らめども人こそ知らね松は知るらむ

                           (万 巻ニ・145)

   [ 山上臣憶良追和歌一首
    鳥翔成有我欲比管見良目杼母人社不知松者知良武 ]


 この歌は有間皇子の自傷歌に続く歌群の中の1首である。無事であったら再び結び松を見ようと歌った皇子はこの藤白の坂で処刑されてしまった。皇子は生きて再び松を見ることはなかったのだ。しかし、皇子は魂となって結び松に戻り、松を見ているだろう、人には見えないが、松にはそのことはわかっている…というような意味。「鳥翔成」は難訓として知られるけれど、「つばさなす」と訓んでおく。

 これを書いていてふと気がついたが、皇子が処刑されたのは西暦658年のこと。ということは、来年は没後1350年に当たる。1350年! こんなにも長い間、皇子の歌や悲劇が語り継がれ、神社や墓所が人々に守れてきたことは驚きだ。

 皇子の墓所にてしばし黙想する。辺りを包み込む静かさは物悲しい。この静寂の中で、薄暗い木立の中、皇子の墓所に佇んでいると、今がいつの時代なのか、わからなくなるような錯覚が起きる。時間感覚の麻痺と言おうか。いつまでもずっとここにいたいような、そんな気持ちもして、去るのが名残り惜しい。





 ここは藤白の坂のほんの入り口らしいので、もっと先にも進んでみたいと思ったが、山歩きをするような装備でもないし、日が照って暑かったこともあり、藤白神社に戻る。藤白神社には立派な楠があり、ここでしばし休む。この楠は熊野杼樟日命(くまのくすびのみこ)が鎮座していらっしゃるご神木で、お祀りしているお社は子守楠神社とのこと。 (子供を守る神様で、昔はこの神様にあやかって子供に名前をつける風習が関西にはあったとか。和歌山出身の南方熊楠の名前もこの神様に由来するとのこと)



 樹齢は1000年を超えるとのこと。1000年前といえば平安時代、源氏物語が書かれた時代にあたる。もちろん、1人の人間が経験できるレベルの時間の幅ではない。自分が持つ時間の感覚を基本に考えてみても、イメージのわかない長い時間。その生命の長大さにも驚くが、樹の大きさ、見事さにはさらに驚く。そして、こんなにも大きなものが、ただ静かにそこに立っているだけという、その存在のありようにも感動した。

 念願であった有間皇子の墓所があるところ、処刑の地である藤白に来られたことは忘れがたい。皇子を偲び、楠に物を思いつつ、藤白神社を後にする。海南から和歌山に戻り、和歌山から新大阪へ。時刻表を見て動いていたわけではないが、皇子の守護があったのか、ほとんど待つことなく、電車を乗り継ぐことができた。和歌山を後にした辺りから天気が荒れはじめる。大阪に近づく頃には嵐の様相。おどろおどろしい黒雲が電車の窓から見える。つい先ほどまで、皇子の墓所のあたりには青空が輝いていたのに、大阪(皇子の父、孝徳天皇が都を開いた地)に近づくにつれて天気が荒れてくるのだから不思議だと思った。





●余談:駅弁

 往路は品川駅にて深川めしを求める。江戸前の定番。あさりの炊き込みご飯、穴子の蒲焼。ハゼの甘露煮。美味である。復路、「たなかの柿の葉すし」は和歌山駅で、「ひらしまの鰻寿司」は新大阪で求める。新幹線に乗る直前、新大阪駅構内でマネケンのワッフルも買い求め、新幹線の車内にて食す。いずれも美味。ことに一口サイズに握られた鰻寿司は忘れがたい。




深川めし(江戸前の定番駅弁)





柿の葉すし(和歌山)





鰻寿司(新大阪)



食後にデザートとコーヒーでしめて、
この旅も終わりに近づく…
 ( 結局、食べ物の話になる)


(紀州篇、おわり)



●紀州で撮った写真を簡単にまとめた。
 → ふろく写真集



index

紀州、和歌山城 (1)
紀州、和歌山城 (2)
紀州、和歌山城 (3)
紀州、有間皇子終焉の地 (1)
紀州、有間皇子終焉の地 (2)


→ このほかの遊山記事


Thursday 17 May, 2007

(紀州篇のつづき)

 和歌山城を後にし、和歌山駅に向かう。次の目的地は紀勢本線の海南駅の近く、藤白神社。途中、電車の中から紀三井寺が見え、帰りにでも立ち寄ろうかと迷ったが、駅からお寺までの道がのぼっているのが電車の中からも見てとれ(道がのぼるというより、お寺は山の上にある!)、これほど暑くなければと残念に思う。ほどなくして海南駅に着く。





 海南での目的地は有間皇子神社と藤白の坂の入り口近辺にあるという皇子のお墓とされる場所である。駅前からタクシーで藤白神社を目指す。この藤白神社は斉明天皇が紀の牟婁の湯への行幸の際に創建した祠に由来するそうだ。当時はすぐ近くまで海が迫っていたそうだが、今は小高い場所になっていて、海の気配も感じられない。かつてはここに熊野詣の人々にとってとても重要な藤白王子があり、熊野九十九王子の五体王子のひとつとして熊野詣の参詣者の信仰を集めていたとのこと。





 この藤白神社の境内の片隅に有間皇子神社があった。





 有間皇子は斉明天皇(重祚して斉明、もとは皇極天皇)の同母弟の孝徳天皇の皇子であり、血筋から言って、天皇の後継者として有力な位置にいた。非常に賢い人物だったと言われるが、賢すぎることは身の危険につながると悟り、狂人の振りをしていたとも言われる。しかし、謀反の疑いをかけられ、捕らえられ、湯治のため紀の牟婁に滞在していた斉明天皇のもとに送られ、そこで詮議を受ける。そして再び都に戻される途中、藤白の坂で絞首刑に処せられた。この皇子の「謀反」と呼ばれるものは中大兄皇子らの策略であり、無実の罪だったのではないかと言われている。

 この時、皇子が紀で詠んだとされる歌が万葉集に有間皇子自傷歌として収載されている。

  磐白の浜松が枝を引き結びま幸くあらばまた帰り見む

  家にあれば笥に盛る飯を草枕旅にしあれば椎の葉に盛る

                       (万 巻ニ・141, 142)

   [ 後岡本宮御宇天皇代 有間皇子自傷結松枝歌二首
    磐白乃濱松之枝乎引結真幸有者亦還見武
    家有者笥尓盛飯乎草枕旅尓之有者椎之葉尓盛 ]


 これらの歌は、歌だけを見れば有間皇子の史実とは結びつかないから、(諸説はあるだろうけれど)当時の古謡が皇子の悲劇と結びついて万葉集に収載された可能性があるのではないかと思われる。とはいえ、この一見のどかな2首の歌と有間皇子の悲劇が結びついた時、読み手の心の中に劇的な感動を与える。万葉集を代表する名歌であり、たいていの万葉関連の本にはこの歌と有間皇子の悲劇が書かれている。歌人としての有間皇子と彼の自傷歌は古来より多くの人々に愛されてきた。

 有間皇子神社は想像以上に小さいお社だった。間違いなく、この地は全国から多くの万葉ファン、研究者、歌人らが集まる「万葉の聖地」のひとつだろうが、そうと思えないほどひっそりしているところがすこぶるよい。この静寂の中で、人は皇子の悲劇と歌に思いを馳せ、感動を新たなものとするだろう。(私は静かなお社の前でそうできた)

 お社には大学ノートが置かれていた。山小屋などにあるようなメッセージノートで、来訪者が自由に書き込みを残せるようになっていた。私は何も書いてこなかったけれど、ざっと見みてみたら、やはり皇子の歌が好きで、そして皇子の悲劇に同情している多くの有間ファンが日本中から参詣している様子がうかがえた。陽の照る中、静かで人の気配もない境内なのに、ノートの中には大勢の人たち(私と共通の感性を持つであろう、たくさんの見知らぬ人たち)の息吹が感じられ、とても不思議な気がした。





(つづく)



●関連リンク

有間皇子について
 ・ 「南紀タウン」サイト内のページ
 ・ Wikipedia
 ・ 「飛鳥の扉」サイト内のページ
 
万葉集原文
 ・ ピッツバーグ大学とバージニア大学による公開ライブラリー

藤白神社について
 ・ 「熊野古道のすべて」サイト内のページ
 ・ 海南市サイト内のページ
 ・ 藤白神社の宮司さんのページ



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紀州、和歌山城 (3)
紀州、有間皇子終焉の地 (1)
紀州、有間皇子終焉の地 (2)


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