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Saturday 02 January, 2016







Saturday 02 January, 2016









Saturday 02 January, 2016









Sunday 23 December, 2007

2010年はシューマン生誕200年であると同時に平城京遷都1300年。その記念年を前に平城宮跡が国営公園化され、朱雀門などの建造物も復元される予定のとのこと。ことほきたてまつる。

http://www.yomiuri.co.jp/national/...


Sunday 20 May, 2007

(つづき)

 有間皇子神社のすぐそばまで民家が迫っていて、細い道が続いている。一度、藤白神社の境内から出る。この道の先が藤白の坂の上り口になるようだ。案内板を頼りに道を進む。細い舗装道路を歩いていくと、昔の街道跡のような鄙びた風情の民家が連なる。軒下に熊野古道と記された提灯が下がっているので、この辺りは熊野古道の一部なのだとわかる。照りつける日差しが強い。青空の輝きは過ぎた夏を思わせる。白い雲が美しい。近くの家々からは昼食の支度をしているのだろうか、生活の音が道に響く。日曜の昼下がり、なんでもない日常生活が感じられ、のどかである。




 やがて道の先に小さな公園のような囲みが見えてくる。緑に囲まれたその一角だけは、この夏の残滓のような日曜の昼下がりの中でも妙に薄暗い。有間皇子の墓と伝えられる場所である。皇子の墓所は清められ、花が供えられている。この場所を守っている人たちの存在を窺い知る。先ほどの生活音がその人たちだろうか。それにしても寂しい場所である。これをのどかと感じるか、寂しい静けさと感じるかは受け止め方によるが。この場に来ると「あり通ひつつ見らめども」の山上憶良の歌が口をついて自然に出てくる。


  鳥翔成あり通ひつつ見らめども人こそ知らね松は知るらむ

                           (万 巻ニ・145)

   [ 山上臣憶良追和歌一首
    鳥翔成有我欲比管見良目杼母人社不知松者知良武 ]


 この歌は有間皇子の自傷歌に続く歌群の中の1首である。無事であったら再び結び松を見ようと歌った皇子はこの藤白の坂で処刑されてしまった。皇子は生きて再び松を見ることはなかったのだ。しかし、皇子は魂となって結び松に戻り、松を見ているだろう、人には見えないが、松にはそのことはわかっている…というような意味。「鳥翔成」は難訓として知られるけれど、「つばさなす」と訓んでおく。

 これを書いていてふと気がついたが、皇子が処刑されたのは西暦658年のこと。ということは、来年は没後1350年に当たる。1350年! こんなにも長い間、皇子の歌や悲劇が語り継がれ、神社や墓所が人々に守れてきたことは驚きだ。

 皇子の墓所にてしばし黙想する。辺りを包み込む静かさは物悲しい。この静寂の中で、薄暗い木立の中、皇子の墓所に佇んでいると、今がいつの時代なのか、わからなくなるような錯覚が起きる。時間感覚の麻痺と言おうか。いつまでもずっとここにいたいような、そんな気持ちもして、去るのが名残り惜しい。





 ここは藤白の坂のほんの入り口らしいので、もっと先にも進んでみたいと思ったが、山歩きをするような装備でもないし、日が照って暑かったこともあり、藤白神社に戻る。藤白神社には立派な楠があり、ここでしばし休む。この楠は熊野杼樟日命(くまのくすびのみこ)が鎮座していらっしゃるご神木で、お祀りしているお社は子守楠神社とのこと。 (子供を守る神様で、昔はこの神様にあやかって子供に名前をつける風習が関西にはあったとか。和歌山出身の南方熊楠の名前もこの神様に由来するとのこと)



 樹齢は1000年を超えるとのこと。1000年前といえば平安時代、源氏物語が書かれた時代にあたる。もちろん、1人の人間が経験できるレベルの時間の幅ではない。自分が持つ時間の感覚を基本に考えてみても、イメージのわかない長い時間。その生命の長大さにも驚くが、樹の大きさ、見事さにはさらに驚く。そして、こんなにも大きなものが、ただ静かにそこに立っているだけという、その存在のありようにも感動した。

 念願であった有間皇子の墓所があるところ、処刑の地である藤白に来られたことは忘れがたい。皇子を偲び、楠に物を思いつつ、藤白神社を後にする。海南から和歌山に戻り、和歌山から新大阪へ。時刻表を見て動いていたわけではないが、皇子の守護があったのか、ほとんど待つことなく、電車を乗り継ぐことができた。和歌山を後にした辺りから天気が荒れはじめる。大阪に近づく頃には嵐の様相。おどろおどろしい黒雲が電車の窓から見える。つい先ほどまで、皇子の墓所のあたりには青空が輝いていたのに、大阪(皇子の父、孝徳天皇が都を開いた地)に近づくにつれて天気が荒れてくるのだから不思議だと思った。





●余談:駅弁

 往路は品川駅にて深川めしを求める。江戸前の定番。あさりの炊き込みご飯、穴子の蒲焼。ハゼの甘露煮。美味である。復路、「たなかの柿の葉すし」は和歌山駅で、「ひらしまの鰻寿司」は新大阪で求める。新幹線に乗る直前、新大阪駅構内でマネケンのワッフルも買い求め、新幹線の車内にて食す。いずれも美味。ことに一口サイズに握られた鰻寿司は忘れがたい。




深川めし(江戸前の定番駅弁)





柿の葉すし(和歌山)





鰻寿司(新大阪)



食後にデザートとコーヒーでしめて、
この旅も終わりに近づく…
 ( 結局、食べ物の話になる)


(紀州篇、おわり)



●紀州で撮った写真を簡単にまとめた。
 → ふろく写真集



index

紀州、和歌山城 (1)
紀州、和歌山城 (2)
紀州、和歌山城 (3)
紀州、有間皇子終焉の地 (1)
紀州、有間皇子終焉の地 (2)


→ このほかの遊山記事

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