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Thursday 29 July, 2010

「ツイッター連詩」が掲載されている「現代詩手帖」2010年8月号が発売されました。150行からなる「ツィッター連詩」には私のアカウント(@franzpeter_d944)からも1行採用していただきました。

「現代詩手帖」(思潮社のウェブサイト)

「ツィッター連詩」について

「ツィッター連詩」に投稿された詩を日付表示順で見る方法



Saturday 14 April, 2007



敷島公園、朔太郎の書斎


 文学館を後にし、朔太郎記念館に移動する。(朔太郎の記念館は文学館の近くではないので車で移動) 群馬県立敷島公園という広大な公園の「ばら園」に朔太郎の生家の一部(書斎、土蔵、離れ座敷)が移築されている。書斎は味噌蔵を改造したものだそうだが公開されていなかったので見ることができなかった。インテリアや家具類などは洋風に統一されていたとのこと。文学館に朔太郎が自らデザインしたという机と椅子が展示されていたが、彼の好みは今見てもモダンで機能的。時代的にバウハウスなどと重なるのではないかと思うが、そういった時代の最先端の空気や気風を前橋にいた朔太郎が鋭敏に感じ取り、自分の実際の生活の中に取り入れていたというところに驚く。書斎も彼の好みを取り入れたモダンなものだったのではないかと思うが、中を見られなかったのでわからない。移築された建物のうち土蔵が記念館として公開されている。朔太郎が実際に触れていた家屋であるというありがたみを感じつつも、私の興味はそれら歴史的建物から公園内の現在の施設に移る。道々の花々が美しい。一際目を引く巨大温室らしいものがあるので、どうしてもそこに入ってみなければと思い、そちらへ移動する。米国国防総省のような形の温室は非常に大きなガラス張りの建物。中では巨大なサボテンなどが栽培されていた。




敷島公園、朔太郎記念館近く





敷島公園、温室のサボテン



 朔太郎の『月に吠える』を読んだのは十五~六歳の頃ではないかと思う。あの本は私には大きな衝撃だったし、中のいくつかの作品には熱狂したと言ってもいいかもしれない。しかし、いつの間にか、そのことさえ忘れてしまっていた。最後に朔太郎の詩集を手にとって読んだのがいつだったかということさえ思い出せない。前橋で朔太郎の世界に触れる機会を得て、幼なじみと久しぶりに再会したような気持ちになった。


前橋で撮った写真を簡単にまとめた。 → ふろく写真集



●関連リンク
萩原朔太郎記念館 (敷島公園ばら園内)

群馬県立敷島公園

(リンク切れの場合あり)


Thursday 12 April, 2007

(つづき)




朔太郎の「広瀬川」の詩碑


 前橋市内を流れる広瀬川に沿って様々な詩碑が設置されていると聞いたので、まずはこれを見ておこうと思い立ち、広瀬川散策に出かける。広瀬川は街中を流れる穏やかな表情の川。岸が整備され遊歩道となっている。この遊歩道に沿って朔太郎をはじめとする詩人たちの詩碑や芸術的な像などが設置されている。とりあえず行けるところまで行ってみようと延々と歩いてみた。川のせせらぎも耳に心地よく、のんびりと散歩できる。静かだから、天気の良い日に散歩がてら、この辺りで読書をして過ごすのもよいなと思った。ここでは詩碑のほか、水車、子供(妖精?)の像、馬の埴輪(それも巨大)などを目にした。この時、見に行ったのは詩碑だったのだが、私は突然の巨大埴輪の出現に狂喜乱舞。さすがは毛野国。あまりにも見事な馬型埴輪だったので、前橋から移動する直前、土産物店で小型のレプリカを買い求めた。




 一時間ほど、その辺りでうろうろした後、前橋文学館に行く。この時は企画展として前橋出身の現代の作家の展示が行われていた。そちらをざっと見た後、2階の朔太郎の部屋に行く。ここでボランティアの解説員の方に案内していただき、展示物や朔太郎に関しての詳しいお話をうかがう。朔太郎が群馬では音楽家としても仕事をしていたこと、彼の創設した団体がやがては群響に発展したのだということを教えていただく。彼が前橋ではどのように鬱屈した思いを抱いていたか、前橋の外の世界に出たいと望んでいたというような話をうかがう。心に残るお話だった。とても親切な方でありがたかった。朔太郎の記念館に出かけるため、名残惜しいが文学館を後にする。




前橋文学館


●関連リンク
萩原朔太郎記念 水と緑と詩のまち前橋文学館

朔太郎の詩碑
(リンク切れの場合あり)


(つづく)


Tuesday 10 April, 2007

 さて、今度は前橋の話を書こう。出かけたのは2年前の早春。高崎を経由する。都内から高崎までは新幹線か新宿湘南ラインに乗る。この時はJRの最寄駅から新宿湘南ラインに乗った。一部には前橋まで直通の電車もあるらしいが、私が乗ったのは高崎行きだった。時間にしておよそ2時間程度。ちなみに鎌倉・逗子方面へ行くにも(余裕をみれば)2時間ほどはかかるので、さして遠いというほどではない。

 都心を抜け、郊外に行くに従って乗客も減り、東京から離れるに従い、車内ものんびりした風情に変わっていく。天気が悪く、雨が降っていた。そして寒い。電車の中で本でも読もうと思っていたが、あっという間に夢の中、うとうとしたり、時々目を覚まして車窓の外の郊外の風景(といっても天気のせいで雨に煙って真っ白に近い)を見るともなしに見ているうちに高崎に着く。これまで何度も通過した駅だが、なんと降りたのはこの時がはじめて。乗ってきたのが普通の電車だったから駅弁が買えず、駅の中でだるま弁当を買い両毛線に乗り換える。高崎から前橋までは10数分だろうか。あっという間の旅程。

 この日の夕方は前橋で群響公演(ブラームス)を聴く。雨足の強い、寒い夜だった。翌朝の天気の記憶がないが、写真を見ると午前は雲がち、午後は青空が輝いている。午後は快晴でも風が強かったことを思い出す。この日の夕方は桐生でも群響を聴くことになっていたが、その時間までは前橋で朔太郎ゆかりの文学館と記念館を見ることにした。

(つづく)




前橋の広瀬川、巨大な埴輪のレプリカ


Monday 03 July, 2006

 今年読んだ本の中から。
 最初なので、どの本を取り上げようかと迷ったが、最も印象的だった本として Paulo Coleho "ALCHEMIST" をあげたい。

 日本語の翻訳も出ていて、結構有名な本だそうだけれど、本を手にした時には予備知識はまったくなかった。「ALCHEMIST」というタイトルがボルヘスの「パラケルススの薔薇」を思い出させたので購入。(ボルヘスについては、いずれ、ゆっくりたっぷり書きたいと思っている)

 スペインのアンダルシア地方で羊飼いをしている Santiago という少年が、不思議な夢に導かれてエジプトに渡り、そこで経験を積み、冒険を経て、夢の実現(具現)にたどり着く。夢にはじまり、夢に終わる物語。ただし、この夢はリアリティのある夢…貯金をして会社を立ち上げる、とか、医学部に行って医者になる、とか…ではない。夜、寝ている時に見る夢の方だ。

 少年は旅立つが、その旅の終着点は結局は出発点だった。

 「行って帰ってくる物語」=このことはトールキンの「指輪物語」ル=グウィン(ル・グィン)のSF作品に関して、10年近く前に私が論じたことでもあるのだが…「旅」の基本の姿とは行って帰ってくることであり、行ったきり戻ってこないのであれば、それは「旅」ではなく「さすらい」であり「漂泊」にすぎない。

 ノヴァーリスの中の私の大好きな一節を引こう。主人公ハインリヒが旅に出る時の様子だ…「そして彼は、自分がこれから旅して向かっていく広大な世界を長く遍歴した末に、また自分の故国に帰って来るような、したがって、そもそもはただ故郷へ向かって旅しているような奇妙な予感を抱きつつ、今あとにしてきたテューリンゲンの方を眺めやった。」(*)

 Santiago 少年の旅もやがては出発点に戻る。そこで彼は何を見つけるのか。

 この物語のキーワードの1つに「宝」があるだろう。彼は「宝」の夢を見るのだけれど、それは彼が見つけるべきもの、目指すべきものであると同時に、それを目指している道中に彼が出会った人たち、その人たちの言葉、その人たちと共に過ごした時間のことでもあるように思えた。宝を見つける過程の経験や出会いも、また宝なのだ。

 もう1つ、大事なキーワードは(本文に書かれているままの言葉で書けば) "Maktub" (マクトゥーブ、メクトゥブ)。初めて出会った語彙だったこともあり、とても印象的だった。アラビア語で「書かれている」という意味だそうだ。現在も過去も、すべてのことは、大いなる存在によって既に「記録されている」というようなニュアンスらしい。夢にはじまって夢に終わる旅は、大いなる存在によって設計され既に書かれていた…そうでなければ、こうも美しく実行されたり完結したりしないに違いない。実はこの本を読み終えた後、別の本で「メクトゥブ」と訳された同じ言葉と再会した。「この頃、よく出会う言葉だな」と驚いた(私のこれまでの人生には存在しなかった語彙だけに)。それもこれも、既にどこかに書かれていること= Maktub の具現に過ぎないのかもしれない。

 少年の夢を後押しした老人たちの言葉も忘れられない。
 少年が滞在した2つの町での話。若い頃には大きな夢を抱いていた人が、その夢を「いつかは」実現しよう、その機会は「今度」にとっておこう…などと思っているうちに、守るべきものができ、身軽に旅に出かけられなくなり、やがては年老いてゆく…。夢の実現がかなわないまま、夢は夢のままとして保ち続け、その一生を終えてしまう…。それも1つの立派な生き方なのだが、それを示された少年は夢を信じ、何が待ち受けているかわからない旅へと踏み出す。すべては「書かれている」としても、私たちにはその「書かれている言葉」を読むことはできない。結局は自分の意思と直感で進む方角を決めるしかない。けれど、本当に悩み考えた結果であれば、それは正しい。というか、そうして選んだ道に間違いはない。たとえ結果が不本意なものとなっても。そして、実はそれらすべてが「書かれている」。

 あの道か、この道かと迷う時には、しばらくの間、この物語を思い出すことになりそうだ。


(*)…ノヴァーリス「青い花」薗田宗人訳、pp.31-32、『ノヴァーリス』国書刊行会、1983
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●リンク

(日本語訳)
パウロ・コエーリョ『アルケミスト ~ 夢を旅した少年』
山川紘矢・山川亜希子訳、角川文庫

 → 角川書店内の情報
 





(ペーパーバック(英語版))
The Alchemist: A Fable About Following Your Dream
By Paulo Coelho
Publisher: HarperCollins

 → HarperCollins内の情報



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