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Friday 30 December, 2005

■上映された映画のスケジュール


●9/27(火) 第1日
 ~ 偉大な芸術家の肖像 ~

*「世紀のヴァイオリン」
 ユーディ・メニューイン/ヴァイオリン

*「秋の旅」
 デートリヒ・フィッシャー=ディースカウ/バリトン

*「太陽への窓」
 ダヴィッド・オイストラフ/ヴァイオリン

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●9/28(水) 第2日
 ~ グレン・グールドの真実 ~

*「ピアノの錬金術師」
 グレン・グールド/ピアノ

*「ゴールドベルク変奏曲・バッハをピアノで弾く理由」
グレン・グールド/ピアノ

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●9/29(水) 第3日
 ~ 未来の偉大な芸術家 ~

*「Natural Born Fiddler」
ヴァレリー・ソコロフ/ヴァイオリン

*「ディアベッリの主題による33の変奏曲」
ピョートル・アンデルジェフスキ/ピアノ

「謎(エニグマ)蘇るロシアの巨人」
リヒテル/ピアノ


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■そのほかのデータ


「モンサンジョンとの3日間 in Tokyo」

2005 9/27(火)~9/29(木)
銀座 ヤマハホール

(主催) 梶本音楽事務所
(後援) フランス大使館
(協力) 読売新聞/(株)ヤマハ/(株)東芝EMI
(制作) (株)クラシック・ジャパン


2005年9月 データまとめ


Friday 30 December, 2005

●9/29(木) 銀座ヤマハホール
 モンサンジョンとの3日間 in Tokyo
[第3日/昼の部(途中から)・夜の部]


[昼の部(映画上映)](途中から参加)

*「謎(エニグマ)蘇るロシアの巨人」
リヒテル/ピアノ


[夜の部(演奏と鼎談)]

*演奏

 (ピアノ) ピョートル・アンデルジェフスキ

 バッハ / イギリス組曲 第6番 ニ短調 BWV811

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*鼎談 「演奏家のオーラ ~ リヒテルの場合 ~」

 ブリュノ・モンサンジョン / 映像作家
 中地義和 / 東京大学教授
 ピョートル・アンデルジェフスキ / ピアニスト


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 この3日目こそは本当に想定外の参加だった。初日のモンサンジョンの話を聞いていたら、どうしても「エニグマ」を観たくなり、なんとか都合をつけて、またしても銀座に出かけた。以前にも観たことのある映画だが、とにかく、おもしろい。リヒテルがカメラの前で独白している、どうして彼のこんな表情をカメラに収めることができたのだろう、あの気難しい(変人の?)リヒテルの長時間インタビューがどうして可能だったのだろう、彼はどうしてモンサンジョンのカメラに向かってここまで露わにいろいろなことを語ることができたのか…その疑問が湧いてくるほど、意外なリヒテルの語りと表情。音の悪い、古いフィルムから抜粋された彼の昔の演奏風景すら、なんと異様な迫力を持って迫ってくるのだろう。ほんの一瞬の演奏の断片にすぎないのに。映画の内容(そこで語られている事柄)は文字にすれば人に伝わるだろうけれど、語り続けるリヒテルの表情や声のトーン、断片的な演奏風景から伝わってくるもの(=感覚的なもの)、それに最後の沈黙、ああいうものは映画でなければわからないだろう。磨かれた石のすべらかさは、実際に手で撫でてみなければ「実感」としてはわからないように。

 この日は「エニグマ」の前にヴァイオリンのヴァレリー・ソコロフを描いた「Natural Born Fiddler」、ピアノのピョートル・アンデルジェフスキを描いた「ディアベッリの主題による33の変奏曲」の2つの映画も上映された(その2本は時間の都合がつかなかったので観ていない)。「夜の部」のミニ・リサイタルではこのアンデルジェフスキがバッハの「イギリス組曲 第6番」を弾いた。映画上映後、「夜の部」の開演までの30~40分の間、ホールが閉鎖されたため、しょうがないので上の階の自動販売機コーナーに行った。昭和28年(1953年)に建てられたというホールだから、全体に古き良き昭和の香りが漂っている。なんともレトロなホールで、昔むかし、街中にあった小さな映画館のようでもある。自販機コーナーの辺りにもそんな「プチ昭和」の香りがそこはかとなく漂っているが、なんとそこにいると、中でリハーサルをしているアンデルジェフスキの音が漏れて聴こえてくるではないか。「プチ昭和」の雰囲気に包まれ、かすかに響くバッハ。情緒があった。

 当初、発表されていた「夜の部」の予定では、モンサンジョンと彼の著書『リヒテル』を翻訳した中地義和さんの2人による「対談」となっていた。しかし、この「対談」がはじまる直前になって、椅子が3つ用意され、急遽、アンデルジェフスキが加わっての「鼎談」に変更された。なお、1日目、2日目の「鼎談」は英語と日本語で行われたが、3日目は全員、フランス語で話せるからということだろう、フランス語で行われた。3日目ではリヒテルへのインタビューがどのように行われたかが明かされて興味深かった。リヒテルはカメラやマイクが大嫌いで、それらが自分の目に入らないのであればインタビューと撮影を行ってもよいと許可を与えたそうだ。少しでもカメラやマイクがある気配がしたら、そこで撮影は終了となると告げられたとのこと。そのため、モンサンジョンは映画の撮影に際して、カメラとマイクを隠す工夫をしなければならなかったそうだ。あのリヒテルがあそこまで自分について語る(遺言のように語る)というのは驚きなのだが、カメラやマイクを隠せという指示があったとしたら、なんとなくわかる話という気もする。

 ところで、リヒテルがネイガウスに師事した当時を回想する「ネイガウスの声」が画面から流れてくる場面が映画の中にある。あの「ネイガウスの声」の録音はどうやって見つけたのかとの会場からの質問に、「あれはモンサンジョンが自分で吹き込んだ声」という一撃。ネイガウスのアクセントだったらこうだろうというロシア語を自分でマネして(彼はロシア語が話せるから)録音し、古い録音に聞こえるように処理したとのこと。私はすっかり「ネイガウスの声」だと信じていたけれど、「モンサンジョンの声」を聴きなれている人たちは「あ、モンサンジョンだ」とすぐにわかったようで、いささか悔しい。(騙されたことが悔しいのではなく、それが演出として作られたものだということを見抜けず、うかうかと「ネイガウス本人の声」だと真に受けてしまった自分のうっかりかげんが悔しいのだ…)

 2日目に披露された逸話だったと思うが、グールドとメニューインの共演を収録した際、最後の音をメニューインが間違えたにもかかわらず、それを撮り直すことができなかったとモンサンジョンは言った。そこで編集作業をしていた彼は、ぱっとひらめき、自分のヴァイオリンを取り出すと、メニューインをマネて音を出し、録音してみた。試行錯誤して自分のヴァイオリンの音を録音し、それを映像にかぶせたら、見事に決まった。出来上がった時、自分には天国にいるグレンが「よくやった!」と喜んでいるように思えた云々。これは私にはかなりけしからん話に思えるし、こんな話、ここでしていいのかと思うほどのきわどさも含まれていると思うのだけれど、モンサンジョンはあっけらかんとして楽しそうに笑っていた。宮澤さんの補足説明が入って、その編集されたものはヨーロッパでのみ放送されただけで、「グレン・グールド・コレクション」には未修正のオリジナルのテイクが使われたとのこと。モンサンジョンとしてはそれが不服だったらしいけれど、そのことを取ってみても、「ドキュメンタリー」とか「事実性」の意味について、彼と私の考え方、解釈の仕方には少し開きがあるのだなと感じられた。

 制作者が思い描く筋書き(=制作者が信じる事実)に、ある程度見合うよう、「事実」をまとめ上げていくのもドキュメンタリーの1つの手法なのだろう。極端な例だが、マイケル・ムーアの「ボウリング・フォー・コロンバン」を観た時には、「ドキュメンタリー映画を名乗る誇大妄想」だと思ったのだが、ムーアが言おうとしたのであろうことは伝わってきた(と私なりに思う)。ムーアにしてみれば、それが観ている人に伝われば、自分の映画がドキュメンタリー映画ではないと言われようが、どうでもよいのかもしれない。モンサンジョンがメニューインの音に自分の音をかぶせた映像を「番組」としてヨーロッパで放映したという話を聞いた時、私が思い出したのはこのマイケル・ムーアの作品を観た時に感じたことだった。銀座での3日間のイヴェントはとても楽しかったし、私は「語り部」のようなモンサンジョンの口調、人柄が大好きになったのだけれど、ドキュメンタリー映画に対する彼の考え方については、少しついていけない部分があるとも思った。けれど、だからといって彼の作品のすべてを否定するにはあまりにも惜しい。なぜなら、確かにおもしろい映画だから。たとえば「ネイガウスの声」は「やらせ」だとしても、映画の中でリヒテルが語っている言葉は(沈黙まで含めて)確かにリヒテル自身の言葉なのだから。映画の制作者の言いたいことを斟酌しながらも、そこで加えられたものをフィルターで濾過して、さらなる奥深い真実を読み取ろうとすることは映画を観る側の問題でもあるだろう。そして、たとえ「ドキュメンタリー」と銘打たれていても、そこで描かれていることをすべて鵜呑みにするようなピュアさは捨てて、ある程度の猜疑心を持って接することもやはり必要だと改めて感じた。


 蛇足かもしれないけれど、いずれの日の鼎談部分でも、モンサンジョンの意向で、客席との対話が重視された。客席にいる人たちは鼎談を黙って「拝聴」するのではなく、いつでもよいので率先して発言して参加しほしいという要望がモンサンジョンから再三あった。私だけではないだろうけれど、そういう形での大勢での対話には不慣れだからか、あるいは、遠慮もあってか、最初のうち、客席からの発言は控えめだった。けれど、3日目あたりになると客席にいる人たちもだいぶ打ち解けてきて、最後は別れ難いほどモンサンジョンと親密な雰囲気を作ることができたのではないかと思う。あらかじめ立てられたテーマこそは3日間とも独立していたけれど、実際にはその内容は密接に絡み合っていた。たとえば2日目で、盛り上がったけれど時間が来て中途半端なまま終わってしまったグールドの話題が、3日目にうまくつながれ結ばれ、そこからリヒテルに話がつなげられた。3日目の終わりになって、ソコロフが客席から加わって改めて紹介された。そして終演直前にはモンサンジョンから「フェスティバルのような今回のイヴェントには深く感謝している」という趣旨の挨拶と、来場した人たちへの感謝の言葉があった。参加した多くの人にとって、考えるところの多い、興味深いイヴェントだったのではないだろうか。

 本当におもしろかった。しかし、長かった。そして、疲れた…。参加者のみなさん、本当にお疲れさま…。


(文中、一部敬称省略)

→ 付録データ


2005年9月 データまとめ


Friday 30 December, 2005

●9/28(水) 銀座ヤマハホール
 モンサンジョンとの3日間 in Tokyo
 [第2日/昼の部・夜の部]


[昼の部(映画上映)]

*「ピアノの錬金術師」
 グレン・グールド/ピアノ

*「ゴールドベルク変奏曲・バッハをピアノで弾く理由」
 グレン・グールド/ピアノ


[夜の部(演奏と鼎談)]

*演奏

 (ヴァイオリン) ヴァレリー・ソコロフ

 バッハ / 無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ
      第2番 BWV1004 から 「シャコンヌ」
 バッハ / 無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ 第2番より
 イザイ / 無伴奏ヴァイオリン・ソナタ 第3番 ニ短調 「バラード」

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 (ピアノ) 高橋悠治

 グレン・グールド / ピアノのための5つの小品 (本邦初演?)
 バッハ / パルティータ 第6番

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*鼎談 「ピアニスト・グールド、人間・グールド」

(鼎談の前に) 日本未公開映像、約8分上映

 (1960年代のバーンスタイン指揮、バッハのコンチェルト)

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 ブリュノ・モンサンジョン / 映像作家
 高橋悠治
 宮澤淳一 / 慶応大学・法政大学講師


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 さて、2日目はいよいよグールドをメインにした日。昼からはじまった映画をすべて観た後、1時間ほどの小休止を挟んで、ミニ・リサイタル、鼎談。全体で9時間ほどの行程。休憩時間を省いても正味7時間ほどの長い参加となった。前日に引き続き、ミニ・リサイタル部分に登場したソコロフ少年のバッハとイザイに続いて、高橋悠治さんがグールドの「ピアノのための5つの小品」とバッハを演奏した。ミニ・リサイタルの後、ピアノが片付けられ、鼎談の準備がはじまったのだが、その鼎談の前に「持参した短いフィルムを日本の皆様にぜひご覧いただきたい」というモンサンジョンの要望が紹介され、急遽、約8分ほど、グールドの演奏が収録されたフィルム(バーンスタイン指揮のバッハ、記憶では確かBWV1052の第1楽章)が上映された。その後、演奏を終えたばかりの高橋さんと司会の宮澤さん、モンサンジョンの3人による鼎談が行われた。

 私がこの日の鼎談の中で一番印象的だったのは高橋さんの発言だった。先程上映されたフィルムの中のグールドの姿勢を分析して、「あんな姿勢でピアノが弾けるわけがない。相当、肩が緊張している」と言ったのはおもしろかった。とはいえ、高橋さんはそもそも、べらべらと話をするタイプではないし(*1)、宮澤さんは司会者として、客席に集まったグールド・ファンが聞きたいであろう話をモンサンジョンから引き出すことに徹していたようだったから、結局、この日もモンサンジョンの「独演会」に近かった。けれど、この日のモンサンジョンの語りは本当におもしろかった。モンサンジョンとグールド以外は知らないような話、撮影や編集のエピソードが次々と語られたから。グールドが亡くなってからもうだいぶ経つけれど、彼と親しくつきあい、特に音楽的な話題で深く語り明かしたであろう人が、彼との交流についてまるで語り部のように語る、それを聞く…ファン(信者)としてはそれはどこか物悲しくもあるのだが、それでもうれしい。

 モンサンジョンは気さくで快活なおじさん、とにかく話がうまい。フランス訛の、けれど、すばらしいイギリス英語で、次から次へと尽きることなく、グールドの話を語り続ける。グールドの音楽観よりは、むしろ、人としてのグールドについてを、今ここで東京の人たちに伝えたい、グールドのユーモア、心の温かさをなんとか伝えたいと、それらのことに心を砕いていたようにも見える。それと同時に、彼にとってグールドは特別な存在であり、グールドを語ることは今でもまだとても特別なことなのだとも感じられた。そうしたモンサンジョンの情熱を感じたことは得がたい体験だった。

 3日目につづく…。

(文中、一部敬称省略)


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2005年9月 データまとめ

(註)

  • 注1★現代音楽のある討論会で、参加者の彼が一言も発しないまま会が終わってしまったのを実際に目撃したことがある。その時、彼はただステージの上に座って自分のマフラーをしきりにいじっていた。


Friday 30 December, 2005

●9/27(火) 銀座ヤマハホール
 モンサンジョンとの3日間 in Tokyo
 [第1日/夜の部]

*演奏

 (ヴァイオリン) ヴァレリー・ソコロフ
 (ピアノ) 川島余里

 シューマン=クライスラー / 幻想曲 ハ長調 op.131
 バッハ / 無伴奏ヴァイオリン・ソナタ 第2番 イ短調
      BWV1003 より グラーヴェ/フーガ
 ドビュッシー / ヴァイオリンとピアノのためのソナタ
 サラサーテ / カルメン幻想曲

 (アンコール)

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*鼎談 「音楽家を映像で撮るということ」

 ブリュノ・モンサンジョン / 映像作家
 佐々木昭一郎 / 音声・映像作家
      (元NHK 現在テレビマンユニオン)
 筒井武文 / 映画監督 (司会)


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 この日に演奏されたシューマンのヴァイオリンと「ピアノ」のための幻想曲、これを生で聴けたのは望外の喜びだった。というよりも、これを聴くために、当初は出かける予定にしていなかった初日に出かけたのだった。この作品は晩年の傑作だが、原曲のオーケストラとの共演版ピアノとの共演版のどちらも、録音があまりないし、演奏会で取り上げられる機会も少ない。まったく取り上げられない、というほどのものではないが、それにしても、機会を逃してしまうと、次に生で聴ける機会がいつやってくるかわからない程度には取り上げられる機会が少ない。私はツェートマイアー(エッシェンバッハ指揮)のCDで出会って以来、10数年の間、この作品をひたすら愛聴してきたし、いつかは自分でも弾いてみたいと思っているほど入れ込んでいるのだが、残念ながら、これまで演奏会でこの曲に接する機会がなく、この時はじめて(念願かなってやっと)生で聴くことができた。

 演奏したのはヴァレリー・ソコロフ Valeriy Sokolov という若い人。まだ10代という情報もあるけれど、ネット上にもあまり情報がなく、詳しいことはわからない。(*1) 当日、ソコロフと共演したピアニストについても残念ながら寡聞にして知らない。

 この時のシューマンはとてもダイナミックな演奏だった。いくらか粗削りという感じもしないことはなかったけれど、世間では捉え難いと言われることもある「晩年のシューマン」の音楽の流れをソコロフなりによく斟酌していた。クライマックスに向かって極めて高い集中力を発揮し、その点に流れを集約させる見事な演奏だった。音色は決して私の好みではなかったが、高みに昇る上昇感の力強さ、そのおおらかさは今でも忘れられない。

 このミニ・リサイタルの後の鼎談の中でモンサンジョンが明かしていたこと ── ヴァイオリンを学んでいた少年時代、彼はオイストラフの演奏会に出かけ、この曲を聴き、それまでの人生がひっくり返るほど激しく感動したとのこと。演奏会の後、何日経ってもその興奮は冷めず、後からでもオイストラフが弾いたシューマンを1音余さず思い出すことができたと語っていた。その時の体験が後にオイストラフの映画を作るきっかけになったそうだ。いい話だと思う。

 その初日の鼎談だけれど、一応「鼎談」となっていて、出席者も3人いたのだが、ほとんどモンサンジョンが1人で話をしていた。私としてはかつてNHKで伝説的な作品をたくさん作っていた佐々木さんの話もたくさん聞きたかったのだが、残念ながら彼はほとんど話さず、「モンサンジョンさんにどんどん質問してほしい」と客席に呼びかけたほどだった。初日のモンサンジョンの話として印象的だったのは件のオイストラフの話、それからオイストラフの映像をあちこちで探しまわって映画制作に結びつけた話、メニューインとの逸話など。そして、やはり最後にはどうしたって触れないわけには行かない、グールドとの逸話の数々。モンサンジョンにしか語れないような話ばかりでおもしろかった。だからスケジュール的には厳しかったけれど、出かけて良かった。

 2日目につづく…。

(文中、一部敬称省略)

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2005年9月 データまとめ

(註)

  • 注1★モンサンジョンはソコロフのドキュメンタリー映画「Natural Born Fiddler」を撮影、これはヤマハホールでも上映されたが、都合がつかなくて私は観なかった。ソコロフのプロフィールは "Miami International Piano Festivalml" のウェブサイトで見つかった。 → ここをクリック


Friday 30 December, 2005

●9/27(火)~9/29(木)
 銀座ヤマハホール
 「モンサンジョンとの3日間 in Tokyo」

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 あまりにも多忙すぎたため、まったくこの日記を更新することができなかった。この2か月余りの間、日程と曲目だけを書いた「備忘録」の部分ばかりが増えてしまった。さて、だいぶ時間がたってしまったけれど、過去の話を少し書き留めておこうと思う。

 9月末に行われたモンサンジョンのイヴェントは本当におもしろかった。「夜の部」のミニ・コンサートと鼎談を3日間通して聴いた。グールドの日(2日目)は気合を入れて(というか都合をつけて)「昼の部」の映画上映も最初から全部観た。多勢の聴衆と一緒にホールで聴く(観る)「グールドのゴルトベルク」…というのはコンサート活動を拒否した彼の演奏家としての姿勢から考えるとなんだか反則のようにも思えたが、ホールのスクリーンの上であのゴルトベルクの演奏がはじまってしまったら、もう余計なことを考えている余裕はこちらにはない。今までどれほどの回数を聴いたか観たか、もはやわからないほど体に染み込んだ演奏…けれど、やはりあのゴルトベルクには引き込まれてしまうし、曲が進むにつれて、観ているこちらは息をするのも忘れてしまいそうになる。ホールで(比較的)大きな画面で、大きな音で、そしてモンサンジョン本人を含めた「同志たち」(!)と共に聴く、共に観る「動いているグールド」、「ゴルトベルクを弾くグールド」…。感慨深い。彼の弾くピアノの音が宇宙の姿そのものであるかのように拡大し、私の脳内で膨張する。グールドのピアノの音以外にこの世には何も存在しないのではないかという錯覚さえ生じる。グールドが最後のアリアを弾き終わった時、スクリーンの中のグールドに向かって拍手した3人ほどの人がいたけれど、私も思わずスクリーンに向かって拍手した。私にとっては、今年「ホールで聴いた」最高のピアノ演奏はあのグールドで、あのゴルトベルクだった。

 …という話は「したらキリがない」ので置いておくとして、以下、初日の話につづく……。

(文中、敬称省略)

2005年9月 データまとめ

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