後期シューマンの受容の問題(仮) 投稿者: Abegg 投稿日:21 Aug 2001 17:52:05
wreckさん こんばんは。
私も、wreckさんが久方ぶりにこちらへみえたときには
>おおおおおおおおおおおおお!
てな感じでしたよ(笑)。
(私にはロムラー3号という称号もある位でロムは欠かしておりません。)
そして、リンクをたどって久しぶりにサイトを覗かせて貰いましたら、
そのコレクションの充実ぶりに再度「おおおおおおおおおおおおお!」と感嘆しておりました。
いくつかまだ聴いたことのない、または存在すら知らなかった録音があります。
しかし、かつてあったはずの小説とか日記とかがなくなっててちょっとがっかりした私であった。
>(ちなみにの販売者/レーベルは? 国内プレスなのでしょうか?
>日本語解説つきですか?)
レーベルは、スプラフォン Supraphone で国内プレスです。
日本語解説つきです。
> ……ここまで来てしまったら、やはり、「本邦でのコンサート年表」(仮題)を
>作成するしかない?!
ぜひぜひ作ってくださいまし〜〜。
下に書いた「8回」以外にもあったかもしれませんしね。
まことに僭越ながらひとつ注文させて頂くならば、演奏当時の雑誌新聞から批評記事を探して集めら
れたら付加価値ありすぎですね。
特に日本初演は好楽家の耳目を集めたものだったでしょうから、大御所的な人物による作品と演奏の
詳細な批評も存在するかもしれません。
これは、いわゆる「受容史」の研究に直結するもので、大変に貴重な資料になると思います。
という訳で、私自身やってみたくありますが、wreckさんそれをなさる気力を持ち合わせておられまし
たらお任せいたします(笑)。できることがあれば協力いたします。
ちなみに受容の研究は、音楽学の世界で最近はやりの分野となっています。
ゲーテは「芸術は真の媒介である」と言い、ベートーヴェンは「心から出でて再び心へ還らんことを!」と言いましたが、そのような伝達があって初めて芸術のあり方が完結するのだと思います。
またそのような伝達力を持つ芸術こそ偉大な芸術だと、私は考えます。
シューマンの言葉によれば、「人間の心の深奥へ光を送ること―これが芸術家の使命である!」。
これは文字通りシューマンが芸術家として己に課せられていると信じた使命、
その理想に向けて最も努力したところの「モットー」として理解してよい言葉だと思います。
シューマンの、特に晩年の作品における受容の問題としては、作品が何回演奏されたか、
何枚CDが出ているか、というような外的に「見える」受容のあり方以上に、作品に接した個人個人が如
何にその作品を「再び心へ還し」ているか、如何に作品がその人に深奥の糧として入り込んでいるか、
という「見えざる」受容のあり方が問われていると考えますし、それこそシューマンの願いだったと
思います。
しかしながら、このような「伝達」のあり方を突き詰めていった芸術家は、当然実存的社会的存在と
して非常な危機を身に負うことになるでしょう。
wreckさんがシューマンのヴァイオリン協奏曲を聴くことは実存と結びついていると言わ
れた言葉は、そのようなシューマン受容のあり方の告白として私は聞きたいと思います。
(…とつらつら後期シューマンの受容の問題を論じてみました。)
ところで、Lautenbacher はシェリングの弟子だったのですね。
この名前、日本語に写すと「リュートの小川びと」で、とても音楽的な素敵な苗字ですね。
アウグスブルクの音楽一家の生まれということですが、ご先祖は吟遊詩人だったのかも〜!?
と想像してしまいました。
ちなみに、リバールはシェリングと同じくフレッシュの門下ですね。
この2人が独奏するバッハのドッペルコンチェルトの録音があります。
シューマンのコンチェルトを演奏するヴァイオリニストは、お互い関係が深いことが多いみたい。
和波さんと堀込さんはどちらも江藤俊哉の弟子ですしね。
先生にレッスンで教わったり、同門の人の刺激があったり、ということが演奏の契機になるという
ことがあるのでしょうね。
ではまた〜。
ひとたび書き込むと、「こういう羽目」に陥ってしまうので…(苦笑)、またしばらくはもっぱら
ロムラー3号でいようと思います〜。○△学会の異名を誇る学会ですので(笑)、お許しください>会長
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