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ヴァイオリン協奏曲部会 [ No.20 ]

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クーレンカンプの録音  投稿者: Abegg  投稿日:21 Aug 2001 17:48:24
ととろおさん こんにちは。

>この改変はクーレンカンプと同じような感じですか? クーレンカ
>ンプが使った楽譜が出回っていたのでしょうかね。興味深いですね。
>それから、あの「改変」はそもそも何に由来しているのか、不思議
>です。

スニーティルのとった改変はクーレンカンプのものほど大きくありませんが、大変似ています。
比較的単純な改変で、クーレンカンプが使った楽譜を見なくても録音を聴けば音取りできるも
のだと思います。
あるいはスニーティルはクーレンカンプ本人と接触があったのかもしれませんが、とにかく改変は
クーレンカンプの影響であることは間違いありません。

「あの改変が何に由来しているのか」ですが、クーレンカンプの場合には端的にいって
「どうしてもここはオクターブ上げて歌いたい!」という彼の必然性があったということだと思います。彼の演奏を聴くとそのように思います。しかし、私としては、オクターブ上げていることがもった
いないと思う箇所もあります。

それともう一つ、第3楽章に見受けられるのですが、テクニック的に至難な箇所を易しく書き直して
いるということがあります。9小節間にわたって急速な音階を上下する箇所(180小節以降)を
簡略化しているのと、コーダの重音奏法の箇所(275小節以降)を単音にしているところです。
この2つの箇所をクーレンカンプは、彼の速いテンポ設定にもよりますが、楽譜どおりでは弾けなか
ったのだと思います。ここは楽譜どおりで弾いた方がむしろ演奏効果がでる箇所なので。
クーレンカンプの技巧は、同僚であったフィッシャーが言うように「きみは刻苦勉励によって晩年に
いたるまで向上した」という種類のもので、天才的なものであったとは言えません。

私見ですが、ヨアヒムもこの第3楽章を弾きこなせなかったのかもしれません。
穿った見方になりますが、ヨアヒムはそのためにこの曲の演奏を諦め、100年間演奏を禁じてしまっ
たということも考えられないでもありません。
1857年、ヨアヒムはクララ宛に「あなたのローベルトの協奏曲については、ドレスデンでもっと徹底
して研究せねばなりません。フィナーレは、ヴァイオリニストにとって途方もなく難しいのです。しか
し、私はかなりうまく弾けるようになりましたが。第1、第2楽章は素晴らしく美しい。」と書いてい
ます。
ヨアヒムは、当初は作品の価値を認め演奏会にかけようと一旦はこの曲を徹底して研究し、困難な第
3楽章も「かなり」克服したけれども、ついに演奏会にかける自信はつかなかったのではないかとい
うことが考えられます。
また、作曲者への敬意から、楽譜を改変して演奏することも彼には出来なかったのだと思います。
クララから依頼された第3楽章の書き換えを、彼は結局断っているからです。

さて、
クーレンカンプがこの曲の初演をするにあたっては、ととろおさんのおっしゃるように、大変な重圧が
あったでしょうね。ナチスが先に準備を済ませていたメニューインの世界初演を妨害したこと
により自分に初演のお鉢が巡ってきたという経緯がある上に、ナチスの肝煎りで自分の初演が全世界
に放送されるという異常といってよい状況です。
しかも、この作品の演奏を作曲家の死後100年間禁じたヨアヒムは、ベルリン派の大先達で
すからね。クーレンカンプはヨアヒムの孫弟子です。(ちなみに日本初演のフライとクーレン
カンプは同門です。)想像を絶するプレッシャーだったと想像します。

クーレンカンプの録音を聴くと、私は、彼のこの曲にかける気迫と執念の尋常ならぬものを感じます。
あらえびす氏は、「恐らくメニューインが、米国の一流管弦楽団と共に演奏しても、これと趣きの
異なったものは出来るだろうが、これ以上のものが出来ようとは想像も許されない。クーレンカンプ
の演奏には、それほどの必然性があり、それほど質朴な生命が宿っていたのである。」と書いていま
す。あらえびす氏は、まだ録音されていないメニューインの演奏を引き合いにだして安易に比較論を
しているように一見見えますが、そうではなく、クーレンカンプ自身が、天才的な21歳のヴァイオ
リニストを相当に意識しつつこの曲に取り組んだのだろうと想像してこう書いたのではないでしょうか?
私は、シェーネマンによる世界初演の録音がその後世に出て来ないのは、クーレンカンプ自身
がこれの発売を禁じて、納得のいく力を出し切った演奏をスタジオ録音で果たし、それだけを残そう
としたためかも知れないと、クーレンカンプのCDを聴きながら思ったりしました。
それほどこの録音は、賭けられた意気込みの大きさを感じさせられずにはいられないような感動的な演奏です。彼は、その後もシューマンのコンチェルトをしばしば演奏したことにより、数少ないこの曲
の擁護者の一人となっています。

クーレンカンプが、第一流のヴァイオリニストがほとんど払拭してしまったナチスドイツにおいて
どのような音楽家であったのか、その一面を伝える文をハルトナックの著書から引用します。

「クーレンカンプは、自分がドイツの権力者たちのつくりあげた宣伝用のパレード馬であることを知っ
ていた。しかし彼は彼なりに復讐を行った。つまり彼は古典的なヴァイオリンコンチェルトを演奏
する際に、ほとんどもっぱらユダヤ人ヨアヒムあるいはクライスラーのカデンツァを用いた。また
1935年には、ベルリンフィルハーモニーとともにメンデルスゾーンのヴァイオリンコンチェルトを
演奏した。ゲッペルス宣伝相の愚かな音楽役人たちは烈火のごとく怒ったが、彼が国外移住を行う
気配を示すと、彼を妨害することはしなかった。」

それにしましても、べーム指揮の世界初演の録音がもし発掘されたら「大事件」ですね。
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