クライスラー、クーレンカンプなど。 投稿者: ととろお 投稿日:10 Aug 2001 09:05:56
wreckさん、おはようございます。
ブルックナーについてのお話、興味深く拝見いたしました。
> 《この曲を、より良く聴いてもらいたい、
> すこしでも多くの人に、わかってもらいたい》
> というような、切なる願いがあったのでしょう。
というのは、その通りなのでしょうね。
先の投稿を書いている時に私が思い浮かべていたのは(途中まで書
いて、細かい話になるので割愛したのは)、実はシューマンの「3
つのロマンス」第2曲(op.94-2)のクライスラー「編曲」版でし
た。ヴァイオリンで弾いてもいい曲のはずですが、わざわざヴァイ
オリン用に「編曲」しているのです。(実際には「編曲」ではなく
「校訂」です。) この作品、ヴァイオリンの演奏で聴いた方は多
いかもしれませんが、それが第2曲だけの抜粋演奏であるなら、そ
の多くの場合は「原曲」ではなくてクライスラー版ではないかと思
います。クライスラー版の演奏を聴いて、「オリジナルとは違うか
らけしからん」と思う人などいないでしょう。クライスラーは自分
が演奏する際の「実際」をヒントとして書いたのでしょうし、これ
は「演奏解釈」の1つの例として有用だと思います。クーレンカン
プのヴァイオリン・コンチェルトへの取り組み(改変、改訂)は私
にはこうした演奏家にとっての「実際」の1つの具体例にすぎない
ようにも思えます。「原典礼讚」の風潮はいつの時代の作品に対し
ても確かにあるようですが、これはブルックナーよりも古楽系の方
がもっと過激ではないでしょうか。しかし、突き詰めて考えていく
と、一体、何をもって「オリジナル」と呼ぶのか、実はよくわから
なかったりします。かなり昔に読んだ本ですが、この点に関して、
@大崎滋生『音楽演奏の社会史−よみがえる過去の音楽』(東京書籍,1993)
あたりに示唆的なことが書かれていたように思います。
(手元にない本なので概略ご説明できませんが)
> > たとえば独奏ヴァイオリンにしても、高音域での輝きといったものは
> > まったく見られないのである。(178頁)
>
> (著者はリバールの録音を聴いてこれを書いたようですが、)
わーお(^^ゞ りばーる、りばーる、ぺーたー・りばーる♪
私はクーレンカンプの後で和波さんのCDを聴きましたが、武川さ
んと同じようなことを感じました。(私は肯定的な意味で)
確かに難曲なのに地味な曲です。
> クーレンカンプは、この曲に、「高音域での輝き」といったものを
> 与えたかったのではないかなあ、ということです。
そうかもしれませんね。ほかのヴァイオリニストが弾いたらどうな
るかわかりませんが、クーレンカンプの演奏はとにかく光輝にあふ
れています。崇高です。そして美しい。オクターブを上げていると
ころほど、その美しさが極まって法悦の境地に達しているようにも
感じられました。
(後略)
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