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ヴァイオリン協奏曲部会 [ No.5 ]

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クーレンカンプの「改変」について。  投稿者: ととろお  投稿日: 9 Aug 2001 07:56:10
ANTONIEさん、wreck師匠、おはようございます。

横レスになりますが、ヴァイオリン・コンチェルトのことなど、少し。

クーレンカンプですが、昨夜ちょっと(でも、じっくり)聴いてみ
ました。独奏ヴァイオリンの音は1937年の録音とは思えないほ
ど明瞭に聴くことができました。あまりにも凄い演奏なので思わず
聴きいってしまいました(^^ゞ けれど、オケ部分はモゴモゴした
音で、どの楽器が何を弾いているのか、よくわかりませんでした。
ということで、以下、独奏ヴァイオリンを中心に、ごく簡単に。

オケ部分では大きなカットが確かに目に(耳に?)つきました。第
1楽章では独奏ヴァイオリンの入らないところがいっぺんに4頁ほ
どスッパリなくなっていました。これはマーラー版のシンフォニー
2番に匹敵するほどの大胆なカット。一瞬、オケがどこの何を弾い
ているのか、聴いている方が大混乱(^^ゞ

独奏ヴァイオリンに関してですが、一番顕著なのはオクターブ高く
弾いている部分が意外にも多いということでしょうか。これは奏法
的な問題での改変だろうと思います。また、装飾音、トリル、アク
セントなども加えられています。ほとんどの場合は、私は音楽の流
れに異和感を覚えませんでした。ただ、流れが不自然な部分も一部
あるように見受けましたが(終楽章とか。これは主にアクセントの
せいのような、、、)、この「異和感」は主観的な印象として片付
けてもよい範囲のものと私自身は感じています。歌そのものはまさ
に「シューマンの魂」そのもの。

技巧的な要素を加えられ、なおかつ、オクターブ上がっている部分
がありますから、全体的な印象としては「原曲」より明るく感じら
れ、どちらかというと「華麗な」響きに聞こえます。だからといっ
て、この「改変」がシューマンの作品を貶めているとかということ
はありません。(ほかの演奏家ならどうかわかりませんが)、クー
レンカンプは、この「改変」によって、作品が持つ本質を引き出す
ことに専心していると思えるからです。「作品の本質を引き出すた
めに演奏家は何をなし得るのか」という問に対する1937年当時
の具体的な答えの1つがこの演奏(若干の改変も含む)なのだろう
と思います。

(「作品」とか「原典」「版」というものに対する考え方が、この
時代と今とでは違うことも考えに入れておく必要があるでしょう。)

また、この演奏に先だって行われたドイツでの初演に際して、クー
レンカンプらがいかに慎重に作品を検討し、これをどう演奏するか
真剣に(緻密に)考えたか、うかがえるような気もします。この時
の演奏会、メニューヒンの件もあり、失敗の許されないものだった
のではないかと推測するからです。クーレンカンプはとても大きな
プレッシャーの中で演奏したのではないでしょうか。しかも、自分
では1度も演奏されるのを聴いたことがない作品。助言や注文を与
えてくれるはずの作曲者はとっくに墓の中。いろいろ考えてみると、
「初演」の3人はそれぞれ背負っているものがある中で、自分が聴
いたこともない難曲をよくもまあ演奏してくれたものだなあと、深
い感慨を覚えずにはいられません。

# ちなみに、カール・ベーム指揮のドイツでの初演、シュネーマン
# によって録音されたとラオホフライシュは書いていますが、この
# 時のテープはどうなったのでしょう?
# また、ラオホフライシュによれば、ヴァイオリン・コンチェルト
# の初演ですが、ピアノ版による第1楽章のみの初演が1930年
# 6月30日、ツヴィッカウにて、とのことです。(演奏者は?)

さて、パウル・ヒンデミットですが、彼は元来、すぐれたヴァイオ
リニストですから、純粋に演奏技法の点でクーレンカンプに助言し
たのではないかと推測します。クーレンカンプとヒンデミットは当
時、共にベルリン高等音楽学校で教えていました。つまり、ヒンデ
ミットはクーレンカンプの同僚。しかも、ヴァイオリニストで、か
つ高名な作曲家。クーレンカンプの相談相手には打ってつけだった
かもしれませんね。シュネーマンはベルリン高等音楽学校の校長、
ベルリン器楽博物館館長、プロイセン国立図書館音楽部長を歴任。
(シューマンのヴァイオリン・コンチェルトはこの図書館に寄贈さ
 れたヨアヒムの遺品の中にあったもので、シュネーマンが音楽部
 長になってから、ヨアヒムの遺族の了解のもと、公開されたよう
 です。)

それにしても、ナチスは「ユダヤ人だから」という理由でメニュー
ヒンのアメリカ初演に待ったをかけましたが、ベルリンで開催され
たドイツ初演に、ナチスが「退廃芸術家」として迫害していたヒン
デミットが助力していた(らしい)というのは皮肉なことですね。


[補足] イギリス初演、ドイツ初演、アメリカ初演の3人のこと。  [back]
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