シューマンおたく学会 > データベース > シューマン年表
シューマン年表 ver.1


まだ暫定版です。資料から日付のはっきりしているものだけ、適当に見繕っています。
おいおい加筆修正していきます。 なお、これは厳密なものではありません。
ローベルト中心に記載していますので、クララを中心に起きた出来事については省いてあります。
クララ年表、及びR&Cの統合版「シューマン一家年表」なども作成予定。(未定)

日付の間違いや、「あれの日付を入れてくれー」というご要望などございましたら、メールにてお知らせください。


年齢 日付  
1810 0 06.08 シューマン誕生 (午後9時30分)
1826 16 08.10 父アウグスト死去。
1828 17 03.15 ギムナジウムの卒業試験終了。
03.29 ライプツィヒ大学法学部に入学。
03.31 ライプツィヒ大学教授エルンスト・アウグスト・カルス博士邸の音楽会でクララ・ヴィーク、フンメルの「ピアノ三重奏曲」を演奏。ローベルトに感銘を与える。
18 07.15 ブルンスヴィクの音楽監督ヴィーデヴァインに歌曲数曲を送り意見を求める。
11.19 フランツ・ペーター・シューベルト、ヴィーンにて死す。享年31歳。シューマンはシューベルトを尊敬していて、弟子入りすることも考えてたことがあるだけに、シューベルトの死にショックを受ける。
1829 05.11 ライプツィヒを立ってハイデルベルクに向かう。(転学のため)
05.21 旅行中のヴィリバルト・アレクシスに同行し、ライン河をさかのぼる小旅行をした後、ハイデルベルクに到着。
19 08.21 ハイデルベルク大学の休暇がはじまる。休暇中、シューマンはスイス、イタリアへと旅行する。(10.20にハイデルベルク到着)
1830 20 07.30 ハイデルベルクから母にあててヴィークに入門する許可を求める手紙を書く。(音楽家になる決意表明)
09.24 ハイデルベルクを立ってライプツィヒに向かう。(ヴィークに入門するため。途中デトモルトに寄り親友ローゼンを訪ねる。ライプツィヒ到着は09.29。)
09.29 ライプツィヒ到着。グリマイシェ街のヴィークの家に下宿。(ヴィーク家に下宿していたのは1831.10まで)
1831 21 12.07 一般音楽新聞にショパンの「作品2」についての批評が掲載される。
1832 22 11.18 ツヴィッカウにて音楽会。第1部、クララ独奏。第2部、シューマンの交響曲の第1楽章。
1833 23 08.01 クララから「ロマンスと変奏曲」op.3を献呈される。
08.17 フリードリヒ・ヴィークの誕生日。この直前にクララの「ロマンスと変奏曲」op.3の献呈を受け、「クララ・ヴィークの主題による即興曲」op.5を作曲、ヴィークに捧げる。(自費出版の後、ホフマイスターから出版、1850年に第2版の出版。どちらの時にも献呈の辞はない。)
10.18 2番目の兄カルルの妻ロザーリエ死去。
1834 23 04.03 「新音楽時報」創刊号発刊。
04.21 エルネスティーネ・フォン・フリッケン(1816.09.07-1844)がヴィーク家に寄宿。
12.07 親友ルートヴィヒ・シュンケ(D同盟員としてはヨナターン)、肺炎のため死去。
24
1835 25 10.06 ヴィークがモシェレス(シューマンが幼い頃から尊敬していたピアニスト)を自宅に招待する。
1836 02.04 母シュナーベル死去。
1837 27 08.14 聖オイゼビウスの日。ローベルトとクララ、婚約。
09.09 クララと1年半ぶりに再会。
09.13 クララの18歳の誕生日。シューマンがヴィーク、ヴィーク夫人にクララとの結婚の許可を求める手紙を書く。
1838 04.09 ヴィーン滞在中のクララが同じくヴィーン滞在中のリストに、シューマンの「謝肉祭」とリストの「ニオベ幻想曲」を弾いて聴かせる。(リストがシューマンの作品をはじめて知ったのは1837年頃。op.5, op.11, op.14.)
1839 28 04.06 兄エデゥアルト死去。
29
07.16 クララとの結婚許可を得るための訴状を裁判所に提出。
12.18 クララとの結婚許可を得るための裁判の第1回公判が行われる。(判決は1840.01.04)
1840 01.04 クララとの結婚をめぐる裁判の最初の判決。ヴィークの抗議はシューマンの性格と飲酒癖に問題があるとする点以外は却下された。シューマンは反証を求められる。(最終的な判決は1840.08.01)
02.22 イェーナ大学より哲学博士の名誉学位を受ける。
03.15 リストがドレスデンで演奏会を開く。シューマンはライプツィヒからこれを聴きに行き、リストと初めて会う。この後、シューマンとリストは連れ立ってライプツィヒに赴く。
06.05 ベルリンのバルギール夫人(実母)のもとにいたクララがライプツィヒに戻り、シューマンの家に住みはじめる。
30 07.04 クララにヘルテルのピアノを贈る。
08.01 クララとの結婚の許可を求めた裁判の判決。(勝訴。10日以内にヴィークが控訴しなかったため、08.12に確定。)
08.12 クララとの結婚の許可を求めた裁判の判決が確定。
09.12 ライプツィヒ近郊シェーネフェルト教会にてクララと結婚。参列したのはバルギール夫人(クララの実母)、友人のエルンスト・アドルフ・ベッカー(大恩人!)のみ。牧師はシューマンの幼なじみのヴィルデンハーン。
1841 01.26 交響曲第1番をスケッチ完成。
02.20 交響曲第1番のオーケストレーションが終わる。
03.31 クララ主催によるオーケストラの養老基金のための演奏会にて、交響曲第1番が初演される。指揮はメンデルスゾーン。
31 09.01 長女マリエ誕生。(名付け親はメンデルスゾーン)
09.13 作曲中だった交響曲ニ短調(現在の交響曲第4番の初稿)のピアノ・スコアを仕上げ、クララに贈る。
10.21 クララと共にワイマールへ演奏旅行に行く。シェラールの指揮で交響曲第1番が演奏される。(当地にてリストと再会)
12.06 ライプツィヒでのシューマン夫妻の演奏会にリストが賛助出演。クララとリストがリストの「ヘクサメロン二重奏」を演奏、シューマンの交響曲ニ短調と「序曲、スケルツォとフィナーレ」が演奏される。
1842 32 09.13 弦楽四重奏曲(第1番〜第3番) op.41 が試演される。
1843 01.08 クララがピアノを担当して、ゲヴァントハウスでピアノ五重奏曲 op.44 が初演される。ライプツィヒを訪れていたベルリオーズに高く評価される。
01.21 シューマンのピアノ五重奏曲の評判を聞いたヴィーク(当時、ドレスデンに移住していた)がクララにあてて和解の手紙を書く。(この手紙にはクララにドレスデンにすぐに来てほしい旨とシューマンのピアノ五重奏曲のスコアを携えてきてほしい旨が記載されている。)
04.25 次女エリーゼ誕生。
33 06.16 「楽園とペリ」 op.50 完成。(1843.02.23から作曲がはじめられていた。初演は1843.12.04)
08.19 クララとメンデルスゾーンがピアノを担当して、ゲヴァントハウスにて「アンダンテと変奏曲」が演奏される。
12.04 シューマン自身の指揮により、「楽園とペリ」 op.50 がゲヴァントハウスで初演される。(シューマンの指揮者デビュー?) 初演が好評だったため、1843.12.11 に再演。
12.15 ヴィークがシューマンに和解の手紙を書く。
1844 01.25 クララと共にロシアへ演奏旅行に出発する。(03.04 ペテルベルク着、04.10 モスクワ着、05.30 ライプツィヒ着。)
05.02 モスクワで演奏会を開催。
34 10.03 移住のための住居を決めるため、クララと共にドレスデンに立つ。
11.29 ライプツィヒのヘルテル邸にて、メンデルスゾーンとヨアヒムの演奏を聴く。シューマンはこの時、はじめてヨアヒムの演奏を聴く。
12.08 ライプツィヒにてドレスデンに移住するシューマン夫妻のためにお別れ演奏会が開催される。ピアノ四重奏曲 op.47 が初演される。 pf. クララ vln. ダーフィト vla. ニールス・ゲーゼ
12.13 ドレスデン移住のため、シューマン一家がライプツィヒを立つ。
1845 01.23 クララがシューマンに2人で対位法の研究をすることを提案。
03.11 三女ユーリエ誕生。
04.24 ペダル・ピアノ購入。
35 11.11 シューマンとヒラーが企画した定期演奏会の第1回が開かれ、ヨアヒムがメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲 ホ短調 op.64 を演奏する。
11.22 クララと共にヴァーグナーの「タンホイザー」を観に行く。タンホイザーに心を動かされる。
1846 02.08 長男エミール誕生。
36 10.19 交響曲第2番が完成する。
11.05 交響曲第2番がメンデルスゾーンの指揮で初演される。(ライプツィヒ)
11.24 クララとヴィーンへ演奏旅行に出かけるためドレスデンを立つ。マリエとユーリエを連れて行く。(11.27 ヴィーン着)
1847 01.01 ヴィーンにてシューマン夫妻の第3回演奏会。シューマンの交響曲第1番とピアノ協奏曲。(聴衆にはハンスリック、ジェニー・リンド)
01.10 ヴィーンにてシューマン夫妻の第4回演奏会。ジェニー・リンドが賛助出演する。
01.15 ヴィーンにてシューマン夫妻のためのお別れ演奏会(マチネー)。シューマンの弦楽四重奏曲イ長調、クララのピアノ三重奏曲、シューマンの「リーダークライス」(アイヒェンドルフ)。(聴衆にはアイヒェンドルフなど)
02.14 プロシア国王列席のもと、ベルリンにて、シューマンの指揮による「楽園とペリ」op.50 が上演される。オーケストラはフィルハーモニー・ソサエティ、合唱はジングアカデミー。
05.22 長男エミール死去。(1歳2カ月)
37 07.10 ツヴィッカウにて、シューマンのための特別演奏会。ピアノ協奏曲、交響曲第2番。
10.26 ピアノ三重奏曲 第2番 ヘ長調 op.80 が完成。
11.01 ゲーゼよりメンデルスゾーン重体の知らせが届く。
11.05 ロイターより、メンデルスゾーン死去(11.04)の知らせが届く。
11.06 メンデルスゾーンの葬儀に参列するためドレスデンからライプツィヒに立つ。
11.11 ヒラーがドレスデンからデュッセルドルフに移住。(ヒラーの後任として、シューマンが男声合唱協会リーダーターフェルの指揮者に就任。)
12.24 歌劇「ゲノフェーファ」序曲のオーケストレーションが完成。クリスマスの贈り物としてクララに贈られる。
1848 01.05 ドレスデンにて混声合唱団を組織する。
01.20 次男ルートヴィヒ誕生。
38 09.13 「子供のためのアルバム」op.68 完成。
1849 01.06 「森の情景」op.82が完成。
05.03 ドレスデン革命勃発。(市内戦は 05.09 まで続く)
05.05 ドレスデン革命のため自警団が組織される。シューマンにも参加が求められるがシューマンは居留守を使ってこれを拒否。参加要請3回目にはシューマンの居留守が疑われ家捜しすると脅される。このため、クララはシューマンとマリエを連れてマークセンに避難。(シューマンとマリエを置いた後、05.07 にクララは残りの子供達を連れてくるため、再びドレスデンに戻る。)
39 07.16 三男フェルディナント誕生。
09.13 クララのために「誕生行進曲」op.85-1 を作曲、シューマンとマリエが連弾。
1850 02.25 ライプツィヒにて歌劇「ゲノフェーファ」の序曲がシューマンの指揮で初演される。
40 06.25 ライプツィヒにて歌劇「ゲノフェーファ」初演。(リスト、ヨアヒムらをはじめ、友人・親戚が大勢聴きに来る。)
09.01 デュッセルドルフに移住するためドレスデンを立つ。(09.02 デュッセルドルフ着)
09.08 デュッセルドルフにてシューマン夫妻のための歓迎レセプション。「ゲノフェーファ」序曲、「楽園とペリ」第2部などが演奏される。
12.09 交響曲第3番完成。
12.31 「メッシーナの花嫁」序曲完成。
1851 02.09 デュッセルドルフにてシューマンの指揮で交響曲第3番初演。
03.13. デュッセルドルフにてシューマン指揮による定期演奏会。「デュッセルドルフ新聞」におけるこの演奏会の評論の中で、シューマンの指揮が酷評される。
41 09.01 リストがシューマンを突然訪問。(コージマ同伴) リストはシューマンとクララにロ短調ソナタを弾いて聴かせる。
12.01 四女オイゲーニエ誕生。
1852 03.14 ライプツィヒにてシューマン音楽祭が開催される。マンフレッド序曲、「ばらの巡礼」。(聴衆にはリスト、ヨアヒムら。)
1853 42 06.04 ヨアヒムが自作の「ハムレット序曲」を送ってくる。
43
09.30 ハンブルクのヨハネス来たる! (シューマン夫妻は不在のため、対面は翌日)
10.01 ヨハネス・ブラームスとはじめて会う!
10.27 デュッセルドルフの定期演奏会にて、シューマンがヨアヒムの「ハムレット序曲」を取り上げる。
10.29 クララとヨアヒムの共演による演奏会が開かれる。ベルリンからベッティーナ・フォン・アルニムが聴きに来る。
11.07 オーケストラの委員会から自作以外の指揮をしないようにと提案を受ける。
1854 02.17 天使が歌を歌う。(幻覚と幻聴)
02.26 精神病院への入院を希望し、夕食の済んだ後、突如として入院のための支度をはじめる。
02.27 ライン河に飛び込む。自殺未遂。
03.04 エンデニヒの病院に向かってデュッセルドルフを立つ。
44 06.11 四男フェーリクス誕生。
1855 05.07 ブラームスの誕生日。クララにシューマンから最後の手紙が届く。シューマンは誕生祝としてブラームスに「メッシーナの花嫁」序曲 op.100 の楽譜を贈る。
1856 46 07.23 シューマン危篤の知らせがクララのもとに届く。
07.27 エンデニヒにてクララと再会。
07.29 午後4時、シューマン永眠。享年46歳。
07.31 ボンにて葬儀。クララ、ブラームス、ヨアヒム、ヒラーらが参列。

2001/08/07